鹿児島,出水,木場義幸,橋口洋和,js工法

kagoshima鹿児島への思い

生まれは鹿児島県出水市。
熊本の水俣市との県境。鶴の飛来地で有名なこの街で木場は生まれ育った。

決して裕福ではない家。南国の地鹿児島といえど、この北薩出水は冬は寒い。職人として、手に職をつけかれこれ半世紀が経つ。
携わった現場は世界各国。未開の発展途上な国々もあれば、先進国として、名を馳せる国々も。日本も北に南に東に西へ、、

福岡に移り、鹿児島へ帰るのも盆に正月に。何かしらない限り、帰ることもなくなってきた。あの頃の記憶も薄れ、鮮明だった思い出も色褪せはじめた。

あの日、炊きたての白米を頬張りながら、感じた喜び。それがこの職人人生の根幹にあったのかもしれない。美味い白飯を腹いっぱい食う。
その飢えが踏ん張る一歩をより力強くし、困難な局面を打破させる一発逆転の秘策をひねり出した。

今、職人を育てるということで、アジアの若い子たちが慣れない異国の地で、一所懸命ひたむきに打ち込んでいる。
その瞳は、昔の自分と変わらないのかもしれない。

日本は木場が幼少期住んでいた出水の時代と比べることもできないほど高度成長を果たし、豊かな暮らしが溢れている。
生き延びることに必死な思いをする経験なんて想像もできないことであり、そんな悲壮感は今どきのドラマにもならないのかもしれない。
ただそんな時代だからこそ、そこから這い上がった当事者だからこそ、この国の未来を危惧する気持ちも強い。

鹿児島県人は、盆と正月の帰省率が異常に高い人たちとして航空業界では有名らしい。
その郷土愛、また先人たちを敬う気持ちに溢れている土地柄で生まれ育った人間である。
だからこそ、鹿児島に恩返ししたい。出水に恩返ししたいという気持ちは当然持ち合わせている。

明治維新を起こした先人たちが生まれ育った地である。その北の関所として、野間之関所があったのが出水である。
出水の武士は、薩摩の中でも勇猛果敢だったらしい。その地でその血が流れる木場が、鹿児島を語るとき、必然に熱くなる。
その想いが出水の地でどう伝わるのか?これから先の未来。決して捨てたもんじゃない。

文:エージェントプラス橋口洋和